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財産犯

1.財産犯とは



 財産犯とは、他の人の金銭や持ちものを盗んだり(窃盗)、だまし盗ったり(詐欺)する犯罪のことである。他人を殴って奪ったりはしない(この場合は、粗暴犯という)。目的「財産」のみに焦点づけられていることから財産犯と呼ばれる。

 聖アウグスティヌスは、告白録の中で何度も万引きしたことを告白し、「それは貧困に迫られらからではなく、正義の欠乏と反感、不義による。」ものであったと述べ、同じように土居健一郎も、「非行(万引き)は、非常にしばしば秘密を持とうとする最初の試みであり、多くの少年にとって内面性獲得のための最初の冒険である。」と指摘する。少年らによるこの種の万引きは、「遊び型非行」と呼ばれて集団で行われることが多いが、常習化することはほとんどない。いったん発覚し、親や警察などに叱られると二度としなくなるのが通例である。

 それゆえ、万引きはときに無味無臭の犯罪と見られている。

 しかし、ときに常習化する。多くの場合、親などの保護者に対する満たされなさや物足りなさなどの不平不満を抱く中、苦痛な現実から逃れられなくなり、とうとう手に負えなくなったことと関係している。例えば、母子家庭で、親が忙しくて寂しさを募らせている中、学校でいじめられたり、テストの点が悪かったりして、塞き止めていた感情が溢れ出た場合などが仮定される。

2.意味

 窃盗は、親などの保護者によって当然受け取れるはずであった愛や関わりが、自分には「ない」(不在)ことの苦痛や不快感から逃れようと、「もの」によって愛情の補償や確認が行われるものといえる。約50年以上前の研究になるが、福島章(1978)は、窃盗をした受刑者を対象に研究を行い、その半数以上が母子家庭で育ったことを明らかにしている。つまり、友人と同じように親から愛され、関わりが持てていないと感じ、そこにつらさがあるからこそ、その寂しさや惨めさを必死に紛らわせようと、愛情の代わりとなる「もの」を奪い取らなければならないのかもしれない。

 盗みの根底に家族葛藤がある限り、社会的に許容される方法では充足されることは難しく(福島、1978)、いつまでもついつい「それ」を求めてしまうといえよう。