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レイプ(強姦、強制性交など)

1.レイプ(強姦、強制性交など)の意味



 過去の研究では、自分自身の男性性について悩み、女性を誘惑するもの、奪うもの、危険なものであると見なす傾向が指摘されてきた。女性をおそるべきものと見るか、弱小のものと見るかの間に葛藤を生じさせ、女性を攻撃することによって倒錯的に情緒的安定を手にする一方、逆説的に劣等感・無力感を確かなものにしていると考えられる。

 要するに、女性が怖くてたまらないが、かといってビビっている無力な自分を認めることはできず、手段を問わず、女性を屈服させることでしか安心できないといえよう。レイプに魅せられ、そんな自分に倒錯的な力を感じている。

性犯罪

1.性犯罪の定義



 性犯罪とは、レイプ(強姦や強制性交など)や強制わいせつ(レイプまではいかないわいせつ行為)などの性的な刺激を求めた犯罪のことである。子どものときに性的虐待と身体的虐待又は精神的虐待を受けたことが多いとされる。

2.性犯罪の意味

 古典的な精神分析では、性犯罪は性的な満足感にとどまらず、去勢されている現実を否認し、外に向かって働きかけることによって歪んだ自己実現を得る側面を持ち、家庭環境や社会状況、パーソナリティと強く結びついているとされた。すでに去勢されているがゆえに、去勢されていない現実を倒錯した手立てによって確認するしかないといえよう。

 性犯罪というと、一見、短絡的に性的欲求を満足させようとしていると考えられがちだが、実際に性的な満足感を得るために「性犯罪」がわざわざ選択されることはなく、その背後にある「性犯罪」でなければ満たされない、倒錯したこころに目を向ける必要がある。幼少期における性的虐待との関連性がある点を踏まえると、性という刺激によって、傷ついたこころや今この瞬間における心理的な苦痛や不快な思考を必死に消し去ろうとする試みと解される。

 なお、粗暴犯と同じで、解離され(相手のこころにその思いをねじ込もうとし)ているがゆえに自分のこころは見えず、同時に相手のこころも何ら見えていないのかもしれない。

粗暴犯

1.暴力の起源と意味



 粗暴犯とは、直接的な暴力によって他人に損害を与えた犯罪者のことである。主に暴行、傷害、脅迫、恐喝、凶器準備集合の罪を犯した者を指す。フロイトは「トーテムとタブー」の中で、ある原始部族の成り立ちの神話について次のように述べている。

 その部族では、強大な力を持つ年長の男性(原父)が存在し、その男性が部族内のすべての女性を所有し、部族全体を支配していた。そのため、部族内の年少の男性たちは原父のように女性を所有したいと願っても、所有することはできなかった。そこである日、年少の男性たちは共謀して原父を殺害することにした。年少の男性たちは勝利を勝ち得たかに見えたが、この父殺しによって年少の男性の中に罪悪感が芽生え、原父に対して両価的な感情を抱くようになった。このようにして、男性たちは平等な存在になり、お互いの暴力を禁止することで共同体が成立した。

 フロイトは、このような父殺しとそれに基づく共同体の成立が、社会秩序や道徳の基盤であると指摘した。ここで注目すべきことは、暴力を抑え、秩序ある共同体を作り出すためには、父殺しという根源的な暴力が存在していたという点にある。

2.暴力の意味・暴力の連鎖

 「窃盗」が秘密裏に行われる情緒的関与の乏しい行為であるとするなら、粗暴犯は、まるで正反対の暴露的な情動に強く彩られた行為と言える。では、なぜ「本来備わった」攻撃性を、わざわざ他人に向ける必要があるのか。

 暴力の背景には、幼少期に受けた虐待が影響しているとされる。虐待の被害というつらい出来事、そこから生じる認知や情動は、切り離されて意味づけられることがないままこころの何処かに置かれること(解離)になる。それがあるきっかけで目を覚まし、暴力という破壊的な関わりとなって現れることになる。アビー・スタイン(2012)は、児童虐待などの幼少期の外傷体験と、成長後に再び虐待の被害者になったり、あるいは逆に暴力に走ったりすることが関係しているという。また、ギリガン(1996)は、暴力には、暴力を振るう側が感じている脅威そのものを緩和する目的があるという。暴力を振るっているときだけが、内面にある過去の傷つきから逃れられるの瞬間であり、だからこそ暴力から離れられないのかもしれない。

3.暴力の連鎖

 暴力を振るう人のこころの中には、過去に暴力を振るわれた被害体験を根付かせており、それによって知らずのうちに暴力を繰り返すことになる(強迫反復)。同時に、被害者から加害者なることで過去の自分を「癒やす」だけでなく、加害者に同一化することによって万能感を生じさせる。そこには「年少の男性ら」が抱いた罪悪感は欠落している。松木(2016)は、憎しみや羨望や抑うつの感情を、言葉を暴力的に使って、ときには腕力による暴力行為を使っても、みずから排泄して他者に押し込むやり方をなしていくと述べる。

 暴力を振るうことによって、子供の頃に感じた暴力を振るわれたときの無力感や弱小感、屈辱の感情などを、自分のこころから相手のこころに押し込んでいるのかもしれない。そこには暴力の連鎖から逃れ、暴力という「有効な」手立てを見せられている印象すら受ける。積極的に原父を殺害し、原父になろうとする年少の男性がそこにいるように感じる。

 財産犯が、内面の空虚感や寂しさを「もの」によって補おうとする犯罪ならば、粗暴犯は、過去の暴力に縛られ、自ら暴力を振るう側になることで必死に自分の弱さから目を背けようとする犯罪といえる。