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統合失調症

1.はじめに



 統合失調症は、発生頻度の高さ、病像の特異性、治療上の困難さなどから最も重視すべき病気である。にもかかわらず、身体的基盤については今のところ確実な知見が得られていない。その診断はもっぱら精神症状と経過を観察することによって行われる。

 経過の特徴は、①主として青年期に発症し、②しばしば進行性または推進性に経過し、③しばしば人格の統合性において特有の欠陥を残遺するか、ときには人格の荒廃状態に至るというものである。

 精神症状は様々なものがあるが、主なものとして①対人接触に際しての特有な障害(思考の硬さ、不自然なぎこちなさ、表情の少なさ、心の通じにくさ、プレコックス感など)、②主観的症状(世界没落体験、迫害妄想、心気妄想、血統妄想などの妄想、対話性幻聴、作為思考、影響体験など)、③客観的症状(自閉性、両価性と呼ばれる特有の感情、意思障害、衝動的興奮や混迷などの緊張病性症状、言語新作や支離滅裂思考などの思考障害など)に分けられる。

2.歴史

 統合失調症を歴史的に見れば、1899年、E.クレペリンが精神病を2つに分類し、躁うつ病と並ぶ疾病として早発性痴呆を設けたことに始まる。E.クレペリンは、E.ハッカーの破瓜病(1871)とK.カールバウムの緊張病(1874)を同じ障害と見なし、A.B.モレルの早発痴呆(1860)の名を使って概念化した。幻覚や妄想、興奮や混迷などの症状は様々だが、共通しているのは「若い頃に発症し、次第に進行して、やがて認知症状態に達する」という経過にあると見なしたことといえよう。E.クレペリンは、この早発性痴呆の中に破瓜型、緊張型、妄想型の4つの亜型を区別した。

 とはいえ、早発性痴呆という病名は、必ずしも青年期に発症するものとは限らず、また、痴呆に至らないものも含まれることから次第に批判されるようになった。痴呆(=認知症)とは異なり、知的能力の低下は起こらず、ただ意欲や感情が鈍麻し、外界に対して無関心になったり、だらしなくなったりするだけである。

 1911年、E.ブロイラーによって統合失調症(始めは精神分裂病群として報告した後に精神分裂病となり、統合失調症に名称を変更している。)の名称に置き換えられた。E.ブロイラーは、精神機能の間に「分裂(統合を失う)」が起こり、あたかも指揮者のいないオーケストラのように心の働きがバラバラになってしまうと考えた。

3.基本症状と辺縁症状

 E.ブロイラーによると統合失調症の中には、必ず認められる症状(基本症状あるいは主軸症状)と、必ずしも認められない症状(辺縁症状あるいは副次症状)があるという。

(1)基本症状あるいは主軸症状

A.思考障害

 思考障害は、論理の繋がりが途絶えて観念と観念の間が緩む連想弛緩や支離滅裂などである。これが極端になると、「言葉のサラダ」といわれるように、全く意味のない言葉がただただ並べられているような状態になる。軽い場合は、言葉の使い方にズレ(思考偏奇)が感じられ、飛躍が多い程度。あるいは逆に、形式的に過度に論理的であるため、かえって非現実的な内容・結論になることもある(病的合理性)。幻覚や妄想もなく、自我障害もはっきりしない単一型の統合失調症の場合、この思考障害が鑑別診断の上で特に重要になる。

 中安信夫は、この単一型の統合失調症とアスペルガー障害の誤診がかなりあったのではないかと述べている。

B.感情障害

 感情障害は、感情の乏しさ、鈍麻、平坦化であり、ときに不自然な子どもっぽさ(児戯的)などである。もちろん、興奮、情動の嵐、攻撃性といったものが抑制が効かないまま現れ、非行・犯罪がその結果行われることも稀ではないが、多くの統合失調症(特に慢性統合失調症)に特徴的なのは感情障害である。このような感情障害が著しくなれば、接するものに「異様な」印象を与えることになる。これを「統合失調症くささ」、「プレコックス感」と呼ぶ。

C.自閉性

 日常生活の過ごし方であり、無為、自閉、だらしなさなどである。 ブロイラーは、1911 、年分裂病論の中で自閉を「内的生活の比較的あるいは絶対的優位を伴うところの現実離脱」と定義した。連合弛緩、両価性、感情障善と並んで統合失調症の症状として用いられ、自閉的になった人にとってもはや外界はその現実的な意味を失い、自分だけの空想的世界のみで生きることになる。ミンコフスキーは、自閉を「現実との生きた接触の喪失」と規定した上で、貧しい自閉と豊かな自閉とを区別した。

a.連合弛緩

 ブロイラーは、統合失調症の基本的障害は連合弛緩であるとし、個々の精神機能の統合に障害があると考えた。要素的経験(感覚、観念、運動など)がある法則に従って結びつき、維持され、呼び起こされることを連合といい、これが弛緩されることになる。統合失調症に見られる破滅思考、意識障害にみられる支離思考は連合弛緩の思考障害といえる。

D.補足

 上記3つが基本症状であり、①幻覚、②妄想、③自我障害などの辺縁症状はそれほど重要ではない。これらの症状は現れる場合と現れない場合があり、統合失調症以外にも見られるため診断的な意義が乏しいが、その一方、辺縁症状こそ実は基本症状であり、基本症状は単なる後遺症に過ぎないという見方もある。「幻覚・妄想があれば精神病」といえるものの、「だからといって統合失調症とはいえない(福島、1985)」。

(2)辺縁症状あるいは副次症状

A.幻覚

 実際にはそこにないものを知覚すること。見間違いや聞き間違いのような錯覚とは異なる。幻覚では幻聴が主で、人の声が多く、避難され、悪口を言われることが多い。自分の考えが声になって聞こえたり(考想化声)、声だけでなく、身体に聞こえてきたり(精神性幻覚)することもある。

B.妄想

 ありえない考えを本気で信じ込むこと。おかしいと指摘されても、決してその考えを曲げない。超絶頑固者(だから病気)。多いのは関係妄想や被害・迫害妄想で、周囲の出来事と自分を被害的に結びつけた上で、意味付けを行おうとする(関係妄想)。それ以外にも、注察妄想、血統妄想、家族否認妄想、誇大妄想、恋愛妄想などがある。

※統合失調症の幻覚は大部分が幻聴である。もし幻視が生じるなら、薬物(アルコールや覚醒剤など)の離脱症状や代謝異常・中毒・発熱等に由来するせん妄、認知症の夜間せん妄などが想定される。なお、基本的に「聞かされる。」という受動的な体験の延長で考えるのなら、視覚水準における「(自分が)見られる」という体験が生じることになる。

C.自我障害

 自分の意志によらずに何者か(神や電波など)によって自分の行動や思考が影響されてしまう体験(させられ体験、作為体験)や、自分の考えが外に漏れてしまったり、引き抜かれたり、それが声になってしまったりする思考伝播、思考察知、思考奪取、思考化声などのことである。

(3)シュナイダーの一級症状

 K.シュナイダーは、臨床的・経験的に統合失調症の診断に役立つ症状(一級症状)として、下記を上げている。

A.考想化声

 考想反響、思考化声、思考反響とも訳される。自分自身の考えが、声としで聞こえてくること。幻聴とされるが、真性の幻聴ではない。自分の声ではなく、声を制御することはできない。自分の考えを他人が話しているとか、本を見るとその内容を読む声がするなどと体験される。

B.対話性幻聴(話しかけと応答の形の幻聴)
C.被影響体験
D.思考奪取

 自分の考えが他人によって抜き取られたり、自分の考えが盗まれたりするような、自己の思考が他者によって奪われるという体験のこと。思考伝播や思考吹入とともに思考の被影響性の一つ。

E.思考吹入

 考えが外から吹き込まれて自分の頭の中に入ってきたり、他者によって考えが吹き込まれたりするといった体験のこと。統合失調症に特有のもので、確定診断に際して重要視される。

F.その他思考への干渉
G.考想伝播

 思考伝播とも訳される。自分の考えが自分一人のものではなく、他人が、ときに全世界の人がそれを知っていると感じる体験のこと。妄想知覚は伴わず、妄想着想のようにある時点を境にそれに気がついたというものでもない。思考奪取と同時に生じやすいとされ、ともに自我障害に代来するものと考えられる。

H.妄想知覚
I.作為体験や被影響体験など

 させられ体験ともいう。自分の思考、着想、行為、発話、欲求などの行為が、他人によって行われ、干渉され、または妨害されると感じる体験のことである。ヤスパースらは「させられ現象」という表現を用いた。カール・シュナイダーとツッカーは、作為思考と思考奪取は、思考障害が患者に自覚され、妄想的に解釈されたものとした。

4.治療

 統合失調症は、良くなる可能性がある。25%は完全に治り、25%は多少の障害を残し(例えば変わり者と見られたり、再発しやすかったり)、25%は社会や家族の援助が必要でときに入院し、25%はE.クレペリンのいう痴呆に陥って入院が必要になる。一方、一度統合失調症を発症したことのある人は、多少のストレスで幻覚・妄想などを再発することが多い。

5.分類

 WHOのICD10(国際疾病分類)によれば、統合失調症は次のように分類されている。



 ・F20.0 妄想型統合失調症
 ・F20.1 破瓜型統合失調症
 ・F20.2 緊張型統合失調症
 ・F20.3 型分類困難な統合失調症
 ・F20.4 統合失調症後抑うつ
 ・F20.5 残遺型統合失調症
 ・F20.6 単純型統合失調症
 ・F20.8 その他の統合失調症
 ・F20.9 統合失調症

(1)妄想型統合失調症

 かつて妄想性痴呆と呼ばれたもので、クレペリンやブロイラーによって形作られた概念。破瓜型、緊張病などとならぶ統合失調症の一病型で、最もよく見られるものである。幻覚妄想を主症状とする一方、その他の統合失調症症状(能動性減退、感情鈍麻、自閉性、対人接触に関する障害)が見られないか、あっても軽度のものが多い。発症年齢は、破瓜型や緊張病型よりも遅く、30~40歳頃で、経過も慢性で人格解体を呈するまでに長年時間を要するが、中には最後まで人格解体の兆しを見せないものもある。

 妄想型統合失調症の主症状は文字通り妄想・幻覚で、最も多いのは被害妄想である。周囲がぐるになって自分を監視し、自分だけが嫌がらせを受けていると考える。始めから絶対的な確信を伴って直感されるときもあれば、漠然たる予感であったものが、揺るぎない病的な確信に移行するときもある。この被害妄想は、何らかの意味で自分は自分が特別であるという確信に裏打ちされており、この側面が発展すると自分を殉教者や救済者、政治的使命を持った重要な人物などとする誇大妄想となる。

(2)破瓜型統合失調症

 多くは20~25歳頃に徐々に発症し、慢性的に経過し、放置すれば人格の荒廃に至りやすい。発症初期は神経症に似た症状を訴えるが、やがて人目を避け、幻覚や妄想が生じて学校や会社を休むようになる。感情鈍麻や自発性の欠如が目立ち、表情が乏しくなって何事にも無頓着となって、徘徊や放浪の生活に陥ってしまう。

A.貧しい自閉

 周囲と生きた交流がなく、内面の精神活動も貧困な状態である。破瓜型の統合失調症で見られることが多く、「豊かな自閉」と対比される。

(3)緊張型統合失調症

 20~25歳頃に突然発病するのが特徴(その前に、不眠、不穏、不安、倦怠感などを訴えることがある)。激しい興奮を示したかと思うと、その反動から突然動かなくなる。寛解しやすいが、再発も多い。

(4)単純型統合失調症

 1911 年、統合失調症はブロイラーによって破瓜型、緊張型、妄想型に並ぶ第4の病型としてあげられた統合失調症の一類型。症状としては、ブロイラーが統合失調症の基本症状とした連想障害と感情障害を主とし、他の副次症状を欠き、緩慢な発病と長い間見逃されるほどの潜 行的な経過を示す。やがて人格の枯渇化・貧困化を来すが、破瓜型のようにはなかなかならない。

(5)残遺統合失調症

 統合失調症の慢性状態の一形式。急性期を脱した後や、急性期と急性期の中間において症状はほぼ消失して日常生活は支障ないにもかかわらず、情緒反応はおいても円滑さを欠き、思考障害の残存が残されたような状態をいう。病性欠陥状態とほぼ同じ意味である。

6.原因

 統合失調症の原因は、明らかになっていない。薬物療法が一定の成果を示したことから、生物学的基盤の存在が推定されるものの、遺伝的要因や環境的要因も認められている。

7.力動的な理解

 統合失調症は、こころの中(精神内界)と対人関係の機能に関連する遺伝的な素因を持つ障害である。「これぞ、統合失調症の治療!」などというものはまだない(G.O.ギャバ―ド,2019)。症状を記述する場合、陽性症状(明らかにあるもの)、陰性症状(欠如したもの)、障害された人間関係の3つの群への分類が有効であるとされる。

(1)陽性症状

 陽性症状は急性の精神病エピソードを伴って短時間のうちに生じる、妄想のような思考内容の障害、幻覚のような知覚の障害、緊張病のような行動の障害を含む。誘引となる出来事に対する反応と関係していることが多い。葛藤と密接に関わっている。陽性症状から自由になることが、治療を受けるための第一歩になる。

(2)陰性症状

 多彩で目立って、そこに「ある」のが陽性症状であるのに対し、陰性症状は機能が「ない」こととして分類される。これらの陰性症状には、制限された情動、思考の貧困、アパシー(無力感)、アンヘドニア(快楽消失)が含まれる。遺伝的要素と密接に関係している。

A.アポシー

 動機づけが欠如した状態のこと。目的指向性の行動が発動されず、意欲が低下し、無関心・無感動となる。以前はスチューデント・アパシーなどの概念として使われることもあったが、近年では神経変形疾患や脳卒中の症状として見られている。うつ病と類似するがアパシーでは、抑うつ気分を患者自身が悩み訴えることはほとんどない。

8.まとめ

 統合失調症は多彩な症状を見せるものの、春日(2017)はその本質について、精神の何かが分裂したり、統合が失われたりする病気であり、その「何か」とは何かと論じ、それを「適切な距離」であると指摘する。つまり、適切な距離が離れ過ぎたり、ばらばらになってしまい、その結果、思考が突飛になったり異常になったりする病気といえよう。

 いったん統合失調症になって自我が弱まると、その結果、自分だけの世界、自分のための心の中の逃げ場を守りきれなくなる。安全なはずの我が家であるはずなのに、その壁が取り払われて屋内がむき出しになってしまう。すると、当然、強烈な不安が襲ってくる。恐怖感に駆られ、自分というものがなくなってしまったように感じる。

 自分のこころが丸裸になるという感覚は、不安でいっぱいになる体験に違いない。だからこそ、妄想という物語にすがりついて事態を理解しようとするのかもしれない。

春日(2017)より