
回心(かいしん)
回心という言葉には、「向きを代える。」、「本来あるべきもとの状態に戻る。」という意味であるが、もともとは、自己中心的な生き方を悔い改めて(キリスト教の)神を中心とする生き方に鞍替えし、他者の必要性に使えるように根本から改めることとして用いられてきた。当然、回心は神の超越的な慈しみよってのみ可能になるされる。
回心は、聖パウロの回心のような一時的・劇的なものとされてきたが、最近では漸進的・持続的なものであると考えられている。
ちなみに聖パウロの回心とは、ユダヤ教の熱心な信者であったパウロが、キリスト者を徹底的に迫害してきたが、突然「なぜ、わたしを迫害するのか?」というキリストの声を聞き、回心したとされる出来事である。「主よどうすることをお望みですか?」と尋ね、キリストに従い、その望みを完全に果たしていくということを悟ったとされる。
もちろん、心理学の話ではない。